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仏冒険家、別府で湯治 1936年、飛行機事故で大けが 故アンドレ・ジャピー - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate - 大分合同新聞

1937年、別府市の九州帝国大学温泉治療学研究所で肩を組むアンドレ・ジャピー(左から4人目)と武田雅恵さん(左端)ら少女=外山健一さん提供

1937年、別府市の九州帝国大学温泉治療学研究所で肩を組むアンドレ・ジャピー(左から4人目)と武田雅恵さん(左端)ら少女=外山健一さん提供

 【別府】別府史談会副会長の外山健一さん(83)=別府市馬場=が、フランスの冒険飛行家、アンドレ・ジャピー(故人)が飛行機事故のけがを治療するため同市で湯治をしていたことについてまとめた。同会が今年3月に発行した「別府史談」に掲載している。
 アンドレは1936年、パリ―東京間の懸賞飛行に挑戦。悪天候のため、佐賀県の脊振(せふり)山に墜落し、大けがを負った。旧脊振村(現・神埼市)の住民に救助され一命を取り留めた。
 調査のきっかけは2005年、親交のあった別府市の武田雅恵さん(故人)から渡された1枚のモノクロ写真。武田さんは11歳だった1937年、別府市の九州帝国大学温泉治療学研究所(現・九州大学病院別府病院)にいたアンドレに日本舞踊を披露した。写真には武田さんら少女とアンドレが肩を組む姿が納められていた。「アンドレは他の患者とは別格の扱いを受けていたようだ。写真について調べ、ジャピー家に送ってほしい」と依頼された。
 外山さんが病院に入院歴を照会したところ、手術後に同市で43日間、リハビリのため湯治生活を送っていたことが分かった。ジャピー家はフランス・ボークール市繁栄の礎を築いた有名な一家で、同市と脊振山がある神埼市は友好姉妹都市関係を結んでいる。
 外山さんは「第2次世界大戦直前のまだ平和な時代。国境を越えた交流、今も昔も変わらない別府のおもてなしの心がうかがえる」と話している。写真はカラーにして、両市に送ることにしている。

<メモ>
 別府史談はB5判、127ページ。閉校した朝日小湯山分校や別府の都市計画の変遷に関する原稿などを収録している。別府市馬場のおおくま書店(☎0977-22-8145)で販売している。

※この記事は、4月19日 大分合同新聞 13ページに掲載されています。

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April 19, 2020 at 01:28AM
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