錆びにくいステンレス製飛行機の誕生
鉄道車両の分野では、維持費の割安さから錆びにくいステンレス車両が多く見られます。鉄道におけるステンレス車体のパイオニアといえるのが、アメリカの金属加工メーカーであるバッドですが、この会社が航空機市場に乗り出そうと開発したのがオールステンレス機RB-1「コネストガ」です。
1941(昭和16)年12月に太平洋戦争が始まると、アメリカも太平洋戦線とヨーロッパ戦線の両方で戦うことになり、アメリカ陸軍および海軍は航空機の大増産を始めます。
ところが、陸海軍の双方が航空機の大量生産に乗り出したので、材料になるアルミニウム合金が不足するのではないかとの不安の声が、軍部や航空機業界から出るようになりました。そこでアメリカは、輸送機や練習機などの支援機についてアルミ以外の材料で生産できないか、検討を始めます。
同じころ、自社の金属加工技術を用いて、ステンレス製の鉄道車両を生産していたバッドは、会社の成長を考えて次の開発目標に航空機を見据えていました。ただし、いきなり戦闘機や爆撃機といった、高い技術が必要な分野に乗り出すのは得策ではないとして、まずは輸送機の開発に挑戦します。
またバッドは自社のアドバンテージでもあるステンレス加工の技術を用いれば、保守整備性に優れた輸送機ができるとも考えました。
こうして、アルミ以外の材料で飛行機を生産したいアメリカ陸海軍と、ステンレス輸送機を開発したいバッドの意向が合致し、RB-1「コネストガ」は生まれました。
自社技術にこだわった独自開発が裏目に
ステンレス輸送機の開発は1942(昭和17)年8月から始まりましたが、試作機が完成する前にアメリカ海軍から200機の注文が入ります。これを追うかたちで、陸軍からも600機の発注がありました。
試作機は1943(昭和18)年に完成し、同年10月31日に初飛行したものの、バッドは航空機の生産に関して明らかに経験不足でした。
しかもステンレス製の飛行機など、従来の航空機メーカーにもないノウハウであり、他社の協力を仰ぐこともできません。自社技術で独自に飛行機を開発したのが完全に裏目に出てしまいました。
加えてアメリカ国内では、アルミニウム不足が深刻になることもありませんでした。半年後の1944(昭和19)年3月に、バッドはアメリカ海軍へ生産機を引き渡し始めましたが、この頃には太平洋戦線とヨーロッパ戦線の両方で、連合国側勝利の道筋が見えるようになります。
その結果、まずアメリカ陸軍の発注分600機がキャンセルになります。アメリカ海軍向けの200機も、26機完成したところで残りすべてがキャンセルになり、しかも完成機のうち海軍に引き渡されたのはわずか17機で、残りは民間に売却されることになりました。
アメリカ海軍は「コネストガ」をRB-1の型式名で運用したものの、実戦投入はせず、1945(昭和20)年8月に戦争が終結すると、余剰機体として早々と民間に払い下げました。
なお完成した機体は、ステンレス車両とまさに同じく外面は無塗装で銀色の状態であり、波模様のようなスポット溶接の跡が全体に入る、それまでの飛行機とは違う外観でした。
RB-1「コネストガ」は、あまりにも自社技術にこだわり過ぎると、かえってガラパゴス化してしまうという教訓なのかも知れません。
柘植優介(乗りものライター)
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